BLOGブログ

2019年04月18日

岸和田の文化 その①

ブログ

こんにちは。喜多整骨堂堂主 喜多です。

患者さんにこんな本を頂きました。



なかなか面白いので、ときどきかいつまんで内容をご紹介します。

今日は岸和田城主 岡部さんと「忠臣蔵」のエピソードです。

皆さんよくご存じの「忠臣蔵」。話の内容は要約するとこんな感じです。

幕府に勅使御馳走役を命じられた赤穂藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ以下たくちゃん)が幕府の担当官僚である吉良上野介(きらこうずけのすけ以下こうちゃん)に指南を仰いだ際に、ワイロが少なかったとのことで事あるごとに意地悪され、堪忍袋の緒が切れたたくちゃんがこうちゃんを斬りつけケガを負わせたと。で、罰としてたくちゃんは一方的に幕府に切腹させられ憤死。理不尽な話だと怒り心頭に達したたくちゃんの家老、家臣たち47人が仇を討つ、という話。

この有名な話の不運な赤穂藩主は、実は岸和田の城主である岡部家が原因でその若い生涯を閉じるハメになったというのですね。

事実だとすると、岸和田で開業している以上「へー、そーなんや」って軽くスルーできない結構由々しき問題ではあ~りませんか。(そ~でもないですか?)

三代目岸和田藩主に岡部長泰(おかべながやす以下岡ちゃん)という人がいます。

この人、実はたくちゃんが幕府に命じられた勅使御馳走役(朝鮮大使の接待担当)の前任者でして、たくちゃんは岡ちゃんのところにこうちゃんとどう接すればいいかアドバイスを聞きに行ったらしい。その時に岡ちゃんは「ああ、こうちゃんね。普通にやればいいよ。え?ワイロ?僕はワイロとかは渡していないし、まじめにちゃんとやればいいと思うよ」と教えたと。

で、生真面目なたくちゃんはそれを真に受けてこうちゃんにワイロを贈らなかった結果、こうちゃんの怒りを買って意地悪されることになった、というんですね。

でも岡ちゃんははウソをたくちゃんに教えた訳ではなかったんですよ。
たくちゃんに教えたとおり、岡ちゃんは実際にワイロを贈ったことはなかった。

ではなぜ、岡ちゃんはこうちゃんに意地悪されなかったのでしょう。

それはですね、実は初代岸和田藩主の岡部宣勝(おかべのぶかつ)の嫁さんはかの徳川家康の姪っ子だったんですね。んでもって宣勝のおばあちゃんは家康の養女だし。逆にこうちゃんが岡ちゃんの扱いに気を遣うっちゅうもんです。

岸和田と赤穂は同じ5万3千石の田舎小藩ですが、徳川本家と近縁の岡部家と同じように振舞ってしまったたくちゃんがこうちゃんに嫌われるのは当然の事です。

今も昔も政治の世界というのは全然変わらんのですねえ。

まあ、そんな訳で岡ちゃんがたくちゃんにもう少し事情を詳しく説明しておれば、忠臣蔵は生まれなかったんですね。それにしても、たくちゃんとその取り巻きもそんな簡単なことになんで気付かなかったんでしょうかね。

岸和田に生まれ育って約50年、こんな話は全く知りませんでした。

また、追々岸和田の面白話をご紹介したいと思います。

ではまた。

CONTACT

お問い合わせ

ご予約・お問い合わせはこちら

お問い合わせフォーム

お電話でのお問い合わせはこちら

072-448-5533